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何なの、あの市長。次の市長選には誰も投票しないよ!(たぶんな)。天音ちゃんが家族に対してあんな悲しい気持ちで生活していたとは驚いた。(そして海くん株爆上げ回)
こむちゃん77歳の誕生日演奏会。思い出の『アマポーラ』。場所は病院になってしまったけれど、みんなに拍手を貰って温かい演奏。
響もプロアマ関係なく、この温かい演奏会に混ざってくれればいいのにな。
いつも家でヘコヘコしているマエストロを見ていると気の毒な気持ちにしかなれない。
天音ちゃんの父親なんて見ていると、マエストロなんて善良すぎるけれど。
ドイツからの凄いオファを蹴ってしまうのは面倒くさい家族のせいかと思ったけれど、そういう事ではないみたい。
でも、一人で決めないで、二人三脚でやって来た鏑木くんにはちゃんと相談してほしかった。
野球少年はマエストロと印象が被らな過ぎて、一瞬、過去映像だと気づかず戸惑った(笑)
来週は、マエストロ、実家へ帰る。
道兼のリアルなムカつきっぷりが凄いな…。 「父に蔑ろにされてきた俺と仲良くしてくれるのは、お前だけだ」的に この一家に対して自分が何をしたか全く自覚せず敷居を跨いでくる。 イタコ演出も、この時代ならではだけど殺害された当人からの恨み言でも 聞かされてくれないかな?
全キャストの中で一番、ハマリと呼び声高い黒木倫子さま。 道長との縁談にまんざらでは無かった御様子で、吉高ばかり役得だった 朝ドラからのリベンジがあるのか?とも思いますが史実でそういう関係だったっけ? 右大臣様の様態と同時に物語がどちらに転ぶのか解らない。
「死ぬって何だろう」辺見さんが言うように、それは人生の最期にしか体験できない事なので誰にも分らない。
本庄さんは足掻かず逝った。末期の病ならば苦しむ可能性は高く、そこと向き合いたくない気持ちも理解できる。孤独を避けたい気持ちも理解できる。でも、その時にならなければ恐いのかどうかすらよく分らない。
少なくとも「みさき総合病院」の患者さんたちは穏やかに逝っている方が多い気がする。
それはきっと、「爪が綺麗に切られていた」「だからここなら大丈夫」患者の家族にもそう思ってもらえる優しいスタッフがいるから。
どんな善人でも悪人でも死は平等に訪れ、それが理不尽にも感じられるけれど、最期の運、不運はもしかしたらあるのかも知れないな。最終回まで見て、そう思った。
幸運なのは「みさき総合病院」の看護師のような優しい人たちが揃った場所で逝けるか逝けないか。
それが家族でも友達でも病院スタッフでも、1人でも大勢でも。最期を穏やかに過ごせるか。それが運というものかも。
「でも私たちは死ぬことの手助けをしているわけじゃない」というセリフがあったけれど、それはそうだと思う。
長生きしても幸せかどうかよく分からないこんな世の中だけれど、でも、ここで奇跡が起きて元気になるなら生きて欲しい。みんなそう思っている。
年寄りだけではなく、最期を迎えるかも知れない少女もいる。延命するかしないか、それをどう考えるかは、その時にならなければ誰にも分らない。
岸井ゆきのさんの繊細な強さはこの役にピッタリで、いつもながら自然に溶け込む存在感。
原作はもっと続けられるほどエピソードがあるので、全4回といわず、10回くらいの連ドラで見てみたかった。
クドカン作品にはどこかに闇があって、そこからの再生物語…とは理解しているけれど、こんなに中盤にもう来てしまった。突き落とされるわ。
しかも、視聴者も実は市郎と一緒に聞いていた。「渚の母親は阪神で1995年に亡くなっていること」
毎回、楽しすぎて頭から消えていた、ほんの小さな会話。市郎は覚えていた。渚に惹かれたから。
それは、あの婿だって、どんなに具合悪くても義父に会いに来るわ。あの頃の義父に会えるのだから。
着させてあげられなかった背広を時を超えてやっと着せてあげられる。
タイムマシーンとは何と尊いもの。
これじゃ、これからは純子と市郎親子を見るたびに泣いちゃう。
震災すらも止めることが、少なくとも被害者を減らすことが、もしかしたら出来てしまうのかもしれないね。
Eテレで、鈴木愛理さんが、東京ブギウギを、NHK総合では、元宝塚の女性が、ジャングルブギーを歌っていた。あらあ…なんか、これらのブギって曲調は、ヒットする良い歌とは思えなかったけど、歌手によっては、なかなかノリの良い、素敵な歌じゃんって思えました。ま、ドラマは、俳優さんが演じているから、歌唱力を期待し過ぎてはいけないんだけどね。ま、いつも、朝ドラの、上手な歌手設定では、がっかりさせられる……
やっぱりな、神林さん!(黒岩脚本の刑事よ(笑))
しかし、藤巻くんの計画を白鳥に密告する役割をしていたというのは寂しいね。「友達」だと思っていたのにな。
やっと白鳥を追い詰めたと思ったら、また裏切られて。自分で自分を「ぼんくら」と言い続ける情けなさ……。
ギフトの正式名称「オクト7」。 本物の製造者は、やはり久留米さんかな。「作れる研究者」と考えると案外候補は少ないのよ
夕方のベンチ、大きなおにぎり3個と肉じゃ入りの弁当を見つめる高齢女性…。既知の女性だとはいえ、どう勧められたら、肉じゃがを食べ、おにぎりまでも食べる状況になるやら…なあんて、現実ではあり得ないよお〜って、心の中で叫ぶ場面がかなりあった今回。でも、最後、きちゃった!…で終わったりして、不動産言葉お勉強コミカル連続ドラマとしては、とっても楽しく拝視聴しておりぬ。十影君の仕事振りも、良くなっていってるらしいしっ!!!
正直なままでも株が上がり続ける永瀬さん。おばあちゃんにも認められて、このまま普通ーーに榎本さんと一緒になっちゃいそう。
「私は不動産屋です。私の大切な人を不動産で不幸にさせたくない」カッコいい……。
そして欠陥住宅を告知しないで売るという悪徳っぷりを指摘されているのにずっと堂々と永瀬の目を見ながら笑っている神木、気持ち悪い。おディーンさまなのに気持ち悪い。
理想があるからとはいえ、悪の方向に足を踏み入れちゃう花澤さん。ミネルヴァの社長は不思議と花澤さんには悪いことさせようとしないんだよね。
社長にとっては花澤さんは唯一の良心なのかな。
ミネルヴァが神木を使って何をしたいのかよく分らないけれど、あまり悪徳なことばかりしていると営業停止になりそう(ドラマが終わる)
ナンバー1に異常に拘る神木、しかし女性陣の前で株は暴落の一途なんだが…。 ミネルバ社長も花澤さんを普通に評価しているのなら、 何でこんな危険人物を拾い上げたのだろう?
対して神木との対比もあって株が上がっている永瀬。最初から結婚を真剣に考えて いたら、榎本さんは男の欲望に全く理解が無い人でも無かったと思うんですけどね。 原作は未読ですがシーズン2のラストで永瀬が人生の墓場に直行もあり?
『春になったら』杉村先生は妊婦の両親に「思い通りになる出産なんてない」と語る。思い通りにならない死について語り合う雅彦さんと阿波野先生。
人間はきっと生まれる時から死ぬときまで思い通りにならない。
その思い通りにならなさを精一杯面白く生きる人の話なんだなぁと思う。
回を追うごとに雅彦さんの辛そうな表情は真実味を帯びてきて、木梨のりさんの演技の確かさを表す。
それでも父と娘は本当に仲が良くて、思いやりで空回り。
退院祝いはエンディングノートの「ホームパーティ」を兼ね、お父さんの希望はまた一つ叶う。
美しい料理が並ぶ映えテーブルもいいけれど、ホームパーティだから手巻き寿司。子どもの頃のお誕生会を思い出してたまらなく懐かしい気持ちになった。
雅彦さんはカズマルくんを呼んでくれた。
そして、ノートから「カズマルを追い払う」を消す。
最期に向けて2人の願いも変わってくる。そりゃあね、最終的には大事な娘が幸せになれなければ死んでも死にきれない。
奇跡が起きて……死なないラストを迎えてくれてもいいのにな…。
『アイのない恋人たち』なんで招待状の準備や発送まで他人任せなんだっyo……とツッコみながら見ていた(爆)いや、こんな2人なのだからこうなるのが当たり前だってば。
親が参加しないこんな式に、割と年かさの招待客が来ていたことに驚く。こんな式の準備をさせられて、謝罪させられて、私だったら二度と友達だなんて思えないけれど、このメンバー、心広いな。
生まれの問題や育ちの問題や、みんなそれぞれに抱えているのは子ども時代からの影響……という点は、やはり遊川脚本らしい。
それぞれのバックボーンをそれぞれを演じる俳優さんがきちんと背負った演技をされているのが素敵な作品。
最終的にはみんな幸せになって欲しいね。
映画版の『舟を編む』が本当に大好きで。どうして主役が馬締くんじゃないんだろう?と思いつつ楽しみにしていた。
主役であるところのエライザさんのキャラは見ている内に思い出した。つまり、もう西岡さんはここに居なくて、荒木さんも定年退職済みで、『大渡海』の編集もだいぶ終盤なんだと。
このドラマでは、ファッション編集部から移動してきた岸辺みどり を主人公に据えている。みどり の雑な言葉選びから来た人間関係の破綻に気づかせた初回。
それも確かに「言葉」の大切さを描く方法ではあるのだけれど、不器用な馬締くんを見守る人間関係を温かく描き、言葉を編むことで人との繋がりも編んでいった映画版の印象とはだいぶ違うように感じられた。
ひとことで言うと物語の印象が「きつい」。
「なんて」の用例はとても面白く、言葉の描き方は楽しめそう。
「朝日を見ながら泣いたとき、温かい風に吹かれて先に涙が渇く方、それが右です……なんて」「なんて素敵な右でしょう」。
なんて詩的な右でしょう。
この「右の語釈」には惚れる。
劇場版から考えるとスピンオフといった趣。
先が楽しみ。
久々に音楽ガッツリ聴けた回。市長がコンサートの途中で中止を言い渡すような無粋な展開にならなくて良かった。
「梅まつり」に無理矢理スケジュールを押し込んで、さよならコンサートを行った晴見フィル。
瑠李さんの両親が、子どもの頃の瑠李さんを見るように同じ会場でフルートを聞いているシーン、ホロッとしてしまった。
作曲家先生たちのコスプレや、観客参加の指揮体験、楽しい祭りのラストは、晴見フィルをずっと愛してきたコンマス・近藤さんの指揮で閉め。
本当にこれで最後で、来週は散り散りなの?最終回ではないし、復活の時は来るよね…
神部君が世良っちより悪になっていく~! 榊原先生がメインの「白い巨塔」っぽくなってきたな…。
「人が最期に感じるのは、希望だと思う」。というよりも、辺見さん自身がそう望んでいるのだろうなって。
止められなかった本庄さんの自死。なぜ人は死にたいと願うのか?妹の佐都子は「やり直したいからじゃない?」という。実際には死の先にあるのは「無」だけだ。
人が、やり直したいから死を選ぶのだとしたら、近年のドラマや漫画に多い「転生」「タイムリープ」などのループものは、そういうものなの?…と、ちょっと思ってしまった。
現実と向き合うのは実に苦しい。
でも、最期まで生きるからこそ気づけることや許せることもある。
これは、向き合うドラマだ。
何なの、あの市長。次の市長選には誰も投票しないよ!(たぶんな)。天音ちゃんが家族に対してあんな悲しい気持ちで生活していたとは驚いた。(そして海くん株爆上げ回)
こむちゃん77歳の誕生日演奏会。思い出の『アマポーラ』。場所は病院になってしまったけれど、みんなに拍手を貰って温かい演奏。
響もプロアマ関係なく、この温かい演奏会に混ざってくれればいいのにな。
いつも家でヘコヘコしているマエストロを見ていると気の毒な気持ちにしかなれない。
天音ちゃんの父親なんて見ていると、マエストロなんて善良すぎるけれど。
ドイツからの凄いオファを蹴ってしまうのは面倒くさい家族のせいかと思ったけれど、そういう事ではないみたい。
でも、一人で決めないで、二人三脚でやって来た鏑木くんにはちゃんと相談してほしかった。
野球少年はマエストロと印象が被らな過ぎて、一瞬、過去映像だと気づかず戸惑った(笑)
来週は、マエストロ、実家へ帰る。
道兼のリアルなムカつきっぷりが凄いな…。
「父に蔑ろにされてきた俺と仲良くしてくれるのは、お前だけだ」的に
この一家に対して自分が何をしたか全く自覚せず敷居を跨いでくる。
イタコ演出も、この時代ならではだけど殺害された当人からの恨み言でも
聞かされてくれないかな?
全キャストの中で一番、ハマリと呼び声高い黒木倫子さま。
道長との縁談にまんざらでは無かった御様子で、吉高ばかり役得だった
朝ドラからのリベンジがあるのか?とも思いますが史実でそういう関係だったっけ?
右大臣様の様態と同時に物語がどちらに転ぶのか解らない。
「死ぬって何だろう」辺見さんが言うように、それは人生の最期にしか体験できない事なので誰にも分らない。
本庄さんは足掻かず逝った。末期の病ならば苦しむ可能性は高く、そこと向き合いたくない気持ちも理解できる。孤独を避けたい気持ちも理解できる。でも、その時にならなければ恐いのかどうかすらよく分らない。
少なくとも「みさき総合病院」の患者さんたちは穏やかに逝っている方が多い気がする。
それはきっと、「爪が綺麗に切られていた」「だからここなら大丈夫」患者の家族にもそう思ってもらえる優しいスタッフがいるから。
どんな善人でも悪人でも死は平等に訪れ、それが理不尽にも感じられるけれど、最期の運、不運はもしかしたらあるのかも知れないな。最終回まで見て、そう思った。
幸運なのは「みさき総合病院」の看護師のような優しい人たちが揃った場所で逝けるか逝けないか。
それが家族でも友達でも病院スタッフでも、1人でも大勢でも。最期を穏やかに過ごせるか。それが運というものかも。
「でも私たちは死ぬことの手助けをしているわけじゃない」というセリフがあったけれど、それはそうだと思う。
長生きしても幸せかどうかよく分からないこんな世の中だけれど、でも、ここで奇跡が起きて元気になるなら生きて欲しい。みんなそう思っている。
年寄りだけではなく、最期を迎えるかも知れない少女もいる。延命するかしないか、それをどう考えるかは、その時にならなければ誰にも分らない。
岸井ゆきのさんの繊細な強さはこの役にピッタリで、いつもながら自然に溶け込む存在感。
原作はもっと続けられるほどエピソードがあるので、全4回といわず、10回くらいの連ドラで見てみたかった。
クドカン作品にはどこかに闇があって、そこからの再生物語…とは理解しているけれど、こんなに中盤にもう来てしまった。突き落とされるわ。
しかも、視聴者も実は市郎と一緒に聞いていた。「渚の母親は阪神で1995年に亡くなっていること」
毎回、楽しすぎて頭から消えていた、ほんの小さな会話。市郎は覚えていた。渚に惹かれたから。
それは、あの婿だって、どんなに具合悪くても義父に会いに来るわ。あの頃の義父に会えるのだから。
着させてあげられなかった背広を時を超えてやっと着せてあげられる。
タイムマシーンとは何と尊いもの。
これじゃ、これからは純子と市郎親子を見るたびに泣いちゃう。
震災すらも止めることが、少なくとも被害者を減らすことが、もしかしたら出来てしまうのかもしれないね。
Eテレで、鈴木愛理さんが、東京ブギウギを、NHK総合では、元宝塚の女性が、ジャングルブギーを歌っていた。あらあ…なんか、これらのブギって曲調は、ヒットする良い歌とは思えなかったけど、歌手によっては、なかなかノリの良い、素敵な歌じゃんって思えました。ま、ドラマは、俳優さんが演じているから、歌唱力を期待し過ぎてはいけないんだけどね。ま、いつも、朝ドラの、上手な歌手設定では、がっかりさせられる……
やっぱりな、神林さん!(黒岩脚本の刑事よ(笑))
しかし、藤巻くんの計画を白鳥に密告する役割をしていたというのは寂しいね。「友達」だと思っていたのにな。
やっと白鳥を追い詰めたと思ったら、また裏切られて。自分で自分を「ぼんくら」と言い続ける情けなさ……。
ギフトの正式名称「オクト7」。
本物の製造者は、やはり久留米さんかな。「作れる研究者」と考えると案外候補は少ないのよ
夕方のベンチ、大きなおにぎり3個と肉じゃ入りの弁当を見つめる高齢女性…。既知の女性だとはいえ、どう勧められたら、肉じゃがを食べ、おにぎりまでも食べる状況になるやら…なあんて、現実ではあり得ないよお〜って、心の中で叫ぶ場面がかなりあった今回。でも、最後、きちゃった!…で終わったりして、不動産言葉お勉強コミカル連続ドラマとしては、とっても楽しく拝視聴しておりぬ。十影君の仕事振りも、良くなっていってるらしいしっ!!!
正直なままでも株が上がり続ける永瀬さん。おばあちゃんにも認められて、このまま普通ーーに榎本さんと一緒になっちゃいそう。
「私は不動産屋です。私の大切な人を不動産で不幸にさせたくない」カッコいい……。
そして欠陥住宅を告知しないで売るという悪徳っぷりを指摘されているのにずっと堂々と永瀬の目を見ながら笑っている神木、気持ち悪い。おディーンさまなのに気持ち悪い。
理想があるからとはいえ、悪の方向に足を踏み入れちゃう花澤さん。ミネルヴァの社長は不思議と花澤さんには悪いことさせようとしないんだよね。
社長にとっては花澤さんは唯一の良心なのかな。
ミネルヴァが神木を使って何をしたいのかよく分らないけれど、あまり悪徳なことばかりしていると営業停止になりそう(ドラマが終わる)
ナンバー1に異常に拘る神木、しかし女性陣の前で株は暴落の一途なんだが…。
ミネルバ社長も花澤さんを普通に評価しているのなら、
何でこんな危険人物を拾い上げたのだろう?
対して神木との対比もあって株が上がっている永瀬。最初から結婚を真剣に考えて
いたら、榎本さんは男の欲望に全く理解が無い人でも無かったと思うんですけどね。
原作は未読ですがシーズン2のラストで永瀬が人生の墓場に直行もあり?
『春になったら』杉村先生は妊婦の両親に「思い通りになる出産なんてない」と語る。思い通りにならない死について語り合う雅彦さんと阿波野先生。
人間はきっと生まれる時から死ぬときまで思い通りにならない。
その思い通りにならなさを精一杯面白く生きる人の話なんだなぁと思う。
回を追うごとに雅彦さんの辛そうな表情は真実味を帯びてきて、木梨のりさんの演技の確かさを表す。
それでも父と娘は本当に仲が良くて、思いやりで空回り。
退院祝いはエンディングノートの「ホームパーティ」を兼ね、お父さんの希望はまた一つ叶う。
美しい料理が並ぶ映えテーブルもいいけれど、ホームパーティだから手巻き寿司。子どもの頃のお誕生会を思い出してたまらなく懐かしい気持ちになった。
雅彦さんはカズマルくんを呼んでくれた。
そして、ノートから「カズマルを追い払う」を消す。
最期に向けて2人の願いも変わってくる。そりゃあね、最終的には大事な娘が幸せになれなければ死んでも死にきれない。
奇跡が起きて……死なないラストを迎えてくれてもいいのにな…。
『アイのない恋人たち』なんで招待状の準備や発送まで他人任せなんだっyo……とツッコみながら見ていた(爆)いや、こんな2人なのだからこうなるのが当たり前だってば。
親が参加しないこんな式に、割と年かさの招待客が来ていたことに驚く。こんな式の準備をさせられて、謝罪させられて、私だったら二度と友達だなんて思えないけれど、このメンバー、心広いな。
生まれの問題や育ちの問題や、みんなそれぞれに抱えているのは子ども時代からの影響……という点は、やはり遊川脚本らしい。
それぞれのバックボーンをそれぞれを演じる俳優さんがきちんと背負った演技をされているのが素敵な作品。
最終的にはみんな幸せになって欲しいね。
映画版の『舟を編む』が本当に大好きで。どうして主役が馬締くんじゃないんだろう?と思いつつ楽しみにしていた。
主役であるところのエライザさんのキャラは見ている内に思い出した。つまり、もう西岡さんはここに居なくて、荒木さんも定年退職済みで、『大渡海』の編集もだいぶ終盤なんだと。
このドラマでは、ファッション編集部から移動してきた岸辺みどり を主人公に据えている。みどり の雑な言葉選びから来た人間関係の破綻に気づかせた初回。
それも確かに「言葉」の大切さを描く方法ではあるのだけれど、不器用な馬締くんを見守る人間関係を温かく描き、言葉を編むことで人との繋がりも編んでいった映画版の印象とはだいぶ違うように感じられた。
ひとことで言うと物語の印象が「きつい」。
「なんて」の用例はとても面白く、言葉の描き方は楽しめそう。
「朝日を見ながら泣いたとき、温かい風に吹かれて先に涙が渇く方、それが右です……なんて」「なんて素敵な右でしょう」。
なんて詩的な右でしょう。
この「右の語釈」には惚れる。
劇場版から考えるとスピンオフといった趣。
先が楽しみ。
久々に音楽ガッツリ聴けた回。市長がコンサートの途中で中止を言い渡すような無粋な展開にならなくて良かった。
「梅まつり」に無理矢理スケジュールを押し込んで、さよならコンサートを行った晴見フィル。
瑠李さんの両親が、子どもの頃の瑠李さんを見るように同じ会場でフルートを聞いているシーン、ホロッとしてしまった。
作曲家先生たちのコスプレや、観客参加の指揮体験、楽しい祭りのラストは、晴見フィルをずっと愛してきたコンマス・近藤さんの指揮で閉め。
本当にこれで最後で、来週は散り散りなの?最終回ではないし、復活の時は来るよね…
神部君が世良っちより悪になっていく~!
榊原先生がメインの「白い巨塔」っぽくなってきたな…。
「人が最期に感じるのは、希望だと思う」。というよりも、辺見さん自身がそう望んでいるのだろうなって。
止められなかった本庄さんの自死。なぜ人は死にたいと願うのか?妹の佐都子は「やり直したいからじゃない?」という。実際には死の先にあるのは「無」だけだ。
人が、やり直したいから死を選ぶのだとしたら、近年のドラマや漫画に多い「転生」「タイムリープ」などのループものは、そういうものなの?…と、ちょっと思ってしまった。
現実と向き合うのは実に苦しい。
でも、最期まで生きるからこそ気づけることや許せることもある。
これは、向き合うドラマだ。